広島からの異邦人!その名はタンク!
世間では10連休!
俺はその間、昼の仕事とバーの仕事を掛け持ちすることにした。
さすが連休だけあって、普段はあまり来ないお客さんがフラッとやってきたりもする。
今回はそんなフラッとやってきた広島からの客人のお話。
商店街の飲み屋もシャッターを閉めだした頃に彼はやってきた。
柄物のシャツに乗馬ズボン、スカーフを巻いてベレー帽を被ったその姿は、一目で旅行客だとわかった。
彼は自分のことをタンクと名乗った。
気さくな人で、俺たちはすぐに打ち解けた。
彼は以前から西成に興味があって、今回の連休を利用してやってきたとのこと。
彼はこの街が噂に聞いていたよりも良い街だという事実に感激する一方で、開発が進み、思っていたよりも住みやすくなってしまったことを憂いていた。
彼は文化を愛し、混沌を愛する人間なのだ。
彼は言った。
「この街も、あと10年もしたらガラッと変わってしまうのではないか。」
その通りだと俺は思った。
この街は今や変化の真っ只中にいる。
ドヤ街からリゾートホテルがそびえ立つ外国人街へ。
おそらく西成の長い歴史の中で、いまこの時期が最も過ごしやすく、バランスのとれた状態かもしれない。
この街に住んでいる人たちや、関西の人間は、西成という文化が当たり前のように感じていて、それがなくなってしまう危険性を感じていないのではないのだろうか。
そしてそれらの文化を継承し、せめて記録していくのは我々異邦人なのではないのか。
そんなことを語りながら、西成で飲み歩いた。
彼はこの後、お伊勢参りをし、東京へ向かった。
奇しくも俺も、東京へ戻るタイミングだったので、俺は友人と彼、そしてその友人の4人でゴールデン街を飲み歩いた。
彼はつい最近まで東京に住んでいた俺よりも、そして誰よりも東京の文化を愛し、守ろうという想いを熱く語った。
そして彼の言葉を受けて、俺もまた西成の街を記録しようと思ったのだった。
またな、文化を愛する男、タンク!
かならずまた会おう!
満員御礼!!初バーテンで大盛況!!
久しぶりの日記だ!
西成に来て、行きつけの店ができた。
その名もバー「アメジスト」
居酒屋が多い西成では珍しいバー形式のお店。
ここはオーナーさんもお客さんもみんなフランクで、俺も毎回楽しませてもらっている。
そこにほぼ毎日来ているのが、前の日記でも言った、タイチさんだ。
だいたいタイチさんの部屋で筋トレを教えてもらいつつ、トレーニング後にアメジストで飲むというパターンが多い。
そんなこんなで常連さんたちとも馴染みになり、ワイワイやるようになった。
やっぱり1人で飲むよりみんなで飲んだ方が楽しい。
そんなある日、オーナーさんから連休中にお店を手伝ってくれないかと言われた。
俺が!?
正直、なか卯のバイトしかしたことないから戸惑った。
でもこんな面白そうな話はない!
俺は快諾した。
研修初日は店休日にやることになった。
30分ほどの説明のあとに、試しに作ってみるかというタイミングのとき…
ドカドカと4人も来客が!!
しかもみんな酔っている!
アタフタしながらも、慣れてない旨を伝えると…
「ハイボール4つや!」
ありがてえ…!!
その間にも1人、2人と来店する。
初日にしてはハードだが、ちょうどいい練習だ。
馴染みの人と話をしながらお酒や食べ物を提供するのがいかに大変かということを痛感した。
アメジストのオーナーも、新宿の行きつけのバーのマスターも楽しい話をしながら、美味しいお酒を作っている。
そうなるまでにたくさんの修行期間があったのだろうなと思い、あらためて楽しいお酒が飲めることを感謝した1日だった。
次回は来週水曜日!!
お世話になっているバーはこちら!
アメジスト/Amethyst
18:00〜0:00
火曜日定休
ノーチャージ
さようなら!別れの時はしめやかに…
葬式に行くのは何年ぶりだろう。
少し前に、俺の職場の利用者の方が亡くなられた。
俺は顔を合わせたことはなかったけれど、職場の名物的なお爺さんだったらしく、スタッフ全員で葬儀に参列することになった。
会場は一階建てのちいさな会館だった。
人数にして100人弱はいたと思う。
家族とも縁が切れて、孤立しがちな西成で、ここまで多くの人が集まるのは珍しいと皆言っていた。
年配の方が多いのはもちろんだが、若い人たちもそれなりにいて、幅広い人たちに愛されていた方なのだなというのが伝わってくる。
演歌と阪神タイガースが大好きで、紙芝居の読み聞かせのボランティアもしていたらしい。
俺も一度お話ししてみたかった。
西成の葬儀の様子は少し変わっていて、参列者のほとんどが私服だ。
理由はなんとなくわかるでしょ。
そう、みんな服をそんなに持っていない。
ましてや喪服なんて、持ってる方が珍しい。
だからといって葬儀の雰囲気が崩れるわけではないし、むしろ街のみんなが駆けつけたような雰囲気があって、その人のつながりがなんとなく見えるような感じがした。
お坊さんもボランティアでやって来ている人で、仏壇もない、椅子はパイプ椅子の、質素な葬儀だ。
遺体との対面も終わって、いよいよ出棺だ。
生前好きだった演歌をバックに、皆で棺を担いで霊柩車……じゃなくてハイエースに載せる。
親族がいない者は、このまま火葬場でお骨になり、他のお骨と一緒にお寺で供養されるか、ふるさとの家という施設に納骨される。
この方はどこへ行くのだろう……。
日本一のスラムと言われるこの街にやって来て、親族もいないまま生涯を終える。
そう書くといかにも不幸な人のように思える。
けれど、たくさんの友人に囲まれて、野球の話に明け暮れ、大好きな演歌を流して送られていったこの方は、不幸でも孤独でもなかったと思う。
白昼堂々!天下茶屋での珍事件?
えー、今日は趣向を変えて、一枚絵でお伝えしようと思います。
絶対に写真撮れる状況じゃなかったからね。
はい、昨日の朝の出来事。
お仕事で天下茶屋駅前の花壇のお花にお水をあげてたら、浮浪者のおじさんがウンチまみれのまま、下半身丸出しで立ち尽くしてたのです。
そんなおじさんに動じないまま花壇に座ってるおばちゃん。
ちょっとビックリしたひとコマでした。
みんなはマネすんなよ!
西成で出来た!俺の先生!?
早いもので西成にやってきて二週間以上たった。
最初は日本一のスラムなんて話を聞いていたから、どうなるものかと思っていたけれど、住んでみたら意外と快適なもんだ。
街の雰囲気は良い意味でも悪い意味でもゆるい。
日本一緊張感のない街といっても良いかもしれない。
食事も酒も、服も部屋も安い。
居心地がいい反面、この街に慣れきったら、この街以外で暮らすのは難しいかもしれない。
そんなことをふと思ってしまったりもする。
そんな二週間で、俺はあるバーにちょこちょこ顔を出すようになった。
商店街の裏路地にあるお店で、名前はアメジスト
このバーで俺はある人に出会った。
彼の名前はタイチさん。
齢75にして180cm近くの長身、ガタイが異様によくて、一つ結びした髪型に口髭がチャーミングなお爺さん。
まぁ、どう見ても普通のおじいさんではない。
何を隠そう、彼はボディビルの元日本チャンピオンなのだ!
酒豪でヘビースモーカー!
物腰は柔らかいけど豪快な男、タイチさんと話すうちに、俺も筋トレをしたくなった。
「俺もマッチョになりたいです!」
「ほな、毎日腕立てを15回3セットしなされ、話はそれからやな!」
それから俺は筋トレを始めた。
再びタイチさんにアメジストであった時、彼の部屋兼ジムに招かれ、ベンチプレスをさせてもらった。
最初は45kg10回×3セット
休憩の間にダンベルフライ3kgを10回×3セット
また次の日は
ベンチプレス45kg 7回×5セット
50kg 2回×3セット
ダンベルフライ3kg×5セット
そして肩周りの筋トレ
ショルダーシュラッグ20kg 10回×3セット
サイドレイズ3kg 10回×3セット
タイチさんの指導は的確だ。
軽いダンベルでも姿勢や持ち上げ方の微妙な違いで、筋肉への負荷が全く違う!
ヘトヘトになりながら2人でアメジストに戻り、ビールを飲む!
タイチさんが笑顔で言う。
「続けることや!ええ男になるで!」
「次はいつくるん?また見てあげるから!」
先生ありがとうございます!
俺、頑張ります!!
暴動寸前!?あいりん労働福祉センター最後の日!
3月31日
晴れなのに雨がふる変な天気だ。
この日、西成のとあるエリアから叫び声や太鼓の音がひっきりなしに響いてくる。
いったい何だと思う?
今日はあいりん労働福祉センターの閉所日なのだ。
18時にこのセンターは役目を終えて、完全閉鎖される。
それに抵抗する人たちが集まって、行政に訴えかけているのだ。
センターの一階は賑やかなことになっていた。
反対の怒声、座り込んで酒盛りをする人たち、太鼓を熱心に叩き続ける人たち、炊き出しの行列、なんとなく見学に来た近所の人たち、そしてテレビ局のカメラ
日が暮れるにつれて、デモのボルテージはどんどんあがっていく。
ついにセンター職員がシャッターを閉め始める。
すると労働者たちがシャッターの下に座り込み、閉鎖を阻止しようとする。
センターの責任者は労働者たちに取り囲まれ、身動きできない状態になる。
責任者はひっきりなしに暴言や、閉鎖の撤回を投げかけられる。
そして無言を貫く責任者。
なぜそこまでして彼らはシャッターの閉鎖を求めるのか。
そしてこれはあいりん地区、いや旧釜ヶ崎の人々の望むところなのか。
それをざっくりと教えちゃうぞ。
この旧センターは50年近くの歴史を持ち、その間にホームレスの人たちや日雇い労働者の憩いの場になっていた。
地下には無料シャワーがあり、賭け将棋ができる小部屋もある。
しかし建物の老朽化により、大きな地震があった場合、倒壊する危険性が出てきた。
そのため行政は、すぐ近くに仮センターを作り、そこで職業案内を引き継いだ。
近くには無料宿泊可能なシェルターとシャワー室もできた。
それでいいじゃないか!と思う人が多いと思う。
実際そう思う人は多いし、抵抗しているのはごく一部なのだ。
抵抗している集団は、いながきひろし氏が率いる釜ヶ崎地域合同労働組合、通称「釜合労」だ。
彼らはインターネットを通じて活動に興味のある若者たちを引っ張り、抵抗運動を共に行なっている。
つまりこのデモで猛烈に抵抗しているのは、実際の日雇い労働者や、あいりん地区に住んでいる人たちのごく一部と、外からやってきた若者たちなのだ。
ニュース記事などでは、さもあいりん地区の労働者たちが総力を挙げて反対運動をしているように報道されがちだが、実情としてはごく一部の抵抗運動なのだ。
結局、この抵抗は夜中過ぎまで続き、その日のセンター閉鎖は中止となった。
彼ら活動家は次の日も、また次の日も交代制で居座り、センターの閉鎖は延期され続けている。
いったいいつまで続くのか、今後も気になるばかりだ。
今日は重めのボリュームだった!
次はもっとライトな記事だよ!
初参加!あいりん炊き出し大盛況!
やっちまった!
寝坊だ!
早速仕事を寝坊したのかって?
仕事じゃない!
炊き出しのボランティアだ!
連絡したいのはヤマヤマだが、困ったことに相手の連絡先を知らない…
俺は二度寝を決め込んだ。
何度寝かの果てに、扉を叩く音で目が覚めた。
恐る恐る扉を開けてみると、ヒラさんだった。
今日職安で炊き出しがあるから、一緒に行こうや!
それ俺が行く予定だったやつだ…
部屋にこもっていても仕方ないので一緒に外出する。
ヒラさんの案内で職安こと、あいりん労働公共職業安定所を案内してもらう。
この施設は1970年に竣工し、職安、食堂、シャワー、病院、集合住宅が併設されたキメラのような建物で、老朽化により今月いっぱいでの閉鎖が決定している。
すでに病院と集合住宅以外は営業停止しており、施設内は閑散としていた。
それでもまだチラホラと住まいを持たない人たちが生活している。
後日、ほかのじいさんから聞いた話だと、ここに住んでいる人たちは、刑務所暮らしが長かった人が多いらしく、この職安閉鎖によって街に解き放たれてしまい、暴れる可能性があるらしい。
おー、こわ!
物悲しい雰囲気のある場所だったけれど、一箇所だけ活気のあるエリアがあった。
賭け将棋、囲碁ができる部屋だ。
中は常連らしい連中でごった返していた。
みんなタバコの煙を黙々させながら、100円を賭けて勝負している。
ヒラさんは将棋好きだけど、賭け事はしたくないらしい。
堅実だ!
それから一階のピロティに移動すると、水の入った缶が点々と並んでいる…
これは炊き出しの予約の目印だとヒラさんが教えてくれた。
なるほどなぁ!
ほどなくして炊き出しグループが到着したので、飛び入りで参加させてもらう。
一気に100人以上の列が出来上がり、会場の熱気が上がる。
半分以上が高齢者だったが、中には30代後半と思しき姿もあった。
礼を言って受け取る者もいれば、早くしろと急かす者もいる。
対応は様々だ。
おかわり自由なので、同じ人が2回3回とやってきて、カレーは15分も経たないうちに空になった。
ほかにはバンドの生演奏や、無料肩たたきコーナーもあり、盛況のうちに炊き出しは終わった。
これはNPO法人志絆会が行なっている炊き出しで、ホームページの方で炊き出し参加や、物資援助の応募フォームがある。
興味がある人は調べてみてほしい。
参加者は口々に
次も楽しみだから、また来てほしい
と言っていた。
職安が閉鎖してしまう今、次の開催場所は決まっていないのが実情らしい。
なんとか続いてほしいところだ。
明日もお仕事。
友達からの電話によると東京は暖かいらしい、大阪は寒い!